カウンセリングサービスの青山リナです。
あなたは、誰と繋がっていますか?
物理的に手を繋いでいるとか、そういう繋がりではなく、感覚的に、誰と繋がっている、と感じますか?
ちょっと今日はとても抽象的で感覚的なわかりづらい内容かもしれません。
私たちは、誰一人として、独りではないんです。
この地球上で息をしている以上、確実に誰かと繋がりがあるんです。
今私は、パソコンでこの記事を打っています。
パソコンを作った誰かがいる。
こうして書いている記事を読んでくれているあなたがいる。
この記事をUPしているこのプラットフォームを作って管理している人がいる。
このブログ一つにしても、少なくとも3人は確実にいるんです。
そしてこの3人もまた別の人と繋がっていて…
目には見えないかもしれないけれど、確実に誰かと繋がりがあるんです。
あなたはその繋がりを感じますか?
私は以前、そんなこと、理屈的にいったらそりゃそうだけど、だけどその人たちが実際私を助けてくれるわけでも、私の悩みを解決してくれるわけでも、私を苦しい世界から救ってくれるわけでもなく、何の役にも立たないじゃん!って感じていました。
だから、そりゃ繋がってるのかもしれないけど、私は孤独だ、って感じていました。
今は、孤独どころか、本当に出逢ってくれて、関わらせてくれて、ありがとう、と思える人があっちにもこっちにもいます。
なんでしょう、この違い。
怒りは分離感情だと言います。
怒りがある時、人と繋がることを拒否したくなります。
友達との繋がり
親兄弟との繋がり
パートナーとの繋がり
いろんな繋がりが、カタチはあったとしても、心が離れている、という状態ができていたりします。
そうすると何が起こるのか。
罪悪感が発生します。
無価値感が発生します。
罪悪感は読んで字のごとく、自分は罪深い悪である、という感覚
無価値感も読んで字のごとく、自分には価値が無い、という感覚
どちらも全く嬉しいものではなく
ただただ自分を苦しめ辛く悲しい感覚を自分に味わわせます。
自分が罪で悪で価値が無い、となると、
人に近寄りたいなんて、思いませんよね。
近寄ったところで良いことがあるなんて、到底思えませんからね。
悪循環に陥ります。
でももし
その、罪で悪で価値が無い、というのが、間違いだったとしたら?
信じられないかもしれないけれど
ハッキリ言います。
間違いなんです。
何度でも言います。
あなたという存在が、罪で悪で価値が無い、というのは、間違いなのです。
あなたという存在は、確実に愛されているからこそ、今、この地球上で息をしていて、今このブログを読んでくれているのです。
怒りがあるということは、必ずそこには、まだ癒えていない過去の痛み、過去の傷があるのです。
想像してみてください。
お腹に、ナイフで刺した傷があって、そこにガーゼが当てられているのだとしたら。
普通、痛くてたまらない…どころか、立って動き回ることすら辛いと思いませんか?病院のベッドで寝ていたいですよね。
やりたいことができるには程遠い状態ですよね。
心のまだ癒えていない過去の痛みも同じです。
にもかかわらず、いろんなことを頑張って頑張って、必死でここまで来たあなたは素晴らしいなんてものではありませんよ。
どれほどスゴイことを成し遂げているのか!
そんなあなたの、本当にやりたいことは何でしょう。
まだ叶えられていない、あなたを最高に幸せにすること。
あなたはそれを叶えるだけの価値があるんです。
誰でも良い、あなたが一番受け取りやすい愛を、受け取ってみてください。
誰かと、繋がってみてください。
あなたは、あなたの望む幸せを手にする価値があるんです。
そして、それを応援している存在が必ずいるんです。