カウンセリングサービスの青山リナです。
母方の祖母はもう亡くなっていますが、今日、1月19日は、祖母の誕生日。なので、今日は、祖母の話を書こうと思います。
祖母は、亡くなる前は認知症でした。
私のこともわからなかったし、自分のこともわからなかったんじゃないかな、と思います。
でも、どこから来たの?と聞くと、いつも、祖母の生まれ育った家の地域から来た、と言っていました。そういう昔のことは覚えているんですね。
自分の誕生日、というか、誕生年も覚えていました。
そんな祖母が認知症になりかけていたまだ初期の頃、私の母は、祖母にこんなことを言われたらしいです。
「あなたはお父さん(私の祖父)に似ているから認知症にはならないわよ。」
つい最近、私は母から聞きました。
母はちょっと嫌なことを言われた、というような感じで私に話していました。
母は、祖母の認知症になっていろいろと忘れていく姿を知っているので、自分は絶対認知症になりたくないと思っています。
だから一生懸命一般的に出回っているような対策を意識して取り入れたりしています。
そんな母が、以前祖母から「あなたは認知症にならないわよ」なんてお墨付きをもらっているって、嬉しい話だと思うんですよね、私からしたら。
でもね、そうではないらしい。
たったこれだけの会話に、なんだか母娘の葛藤がたくさんあるんだろうな~、と私は勝手に感じたんです。
母親である祖母
祖母は昔から、自分にあまり自信のない人でした。
気が弱かったみたいです。
祖母がまだ子供の頃、学校行事で学芸会のようなものがあったようです。どういうわけか、舞台でひとりで歌を歌う機会があったらしいのですが、舞台で泣いてしまって結局歌えなかったのだとか。そんな緊張しいの奥手な女の子だったようです。
言いたいこともあまり言えなかった傷つきやすい女の子だった祖母。きっと、自己嫌悪とか、自己価値の低さとか、いろいろあったんだと思うんです。
ここだけの話、祖父が若いころ浮気したことがあったらしいんです。
祖父は第二次世界大戦で満州に行っていたこともあり、ロシアの捕虜になって、何年か後に帰ってきたような人です。
私が子供の頃にも、祖父は、戦争の話など聞かせてくれて、背中に銃で撃たれた跡があるだとか、戦時中は食べ物が無くてカメが美味しかっただとか、当時の武勇伝をたくさん語り聞かせてくれた人でした。背も高くてハンサムなんです。昔の兵隊だった頃の写真を見ても、普通にイケメン、カッコイイ!という感じの人。
そんな祖父に比べ、祖母は背も低くて、特別美人というわけでもない。
当時は見た目とかそういう問題ではなく、金銭的な問題で、土地の広さで家柄が釣り合う釣り合わないというようなところで結婚を決めたのだという話を、よく祖母から聞きました。
その話も、祖母の実家の方が祖父の実家よりちょっとだけ持っている土地が広かったらしく、多少減るけれどもまぁこのくらいなら、ということで結婚したんだ、という祖母の話でした。
そんな祖母が、娘である母に対して、「あなたはお父さんに似ているから… 」と。
この言葉の裏にある意味ってね、私はこう思うんですよね。
「あなたは、私と違って、お父さんのようにハキハキとしっかり自分のことも自分で出来て、私にできないようなこともちゃんとできるしっかりした子なんだから大丈夫よ。」
そんな想いと
「私は自分のこともちゃんと自分で出来なくて、あなたのことも、私は上手に育てられたかもわからないし、上手に愛せたかもわからないし、あなたはきっと私なんかが親で苦労したよね、もっと良い親の元に生まれていたら良かったのかもしれないのにね、こんな私が親でゴメンね。」
なんて思いがあるんじゃないかなって。
娘である母
母の中にも、母である祖母に対して思うことがいろいろとあるんだと思うんですよね。
母には弟がいて、時代背景ももちろんあるんだと思うんですが、当時は女の子は学歴が無くても結婚したらいい、男の子はちゃんとした学校に行って、ちゃんとした仕事につかなければいけない、という考えだったようです。
だから、母はいつも言っていました、弟は好きな本を買ってもらえたけれど私は本を買ってもらえなかったって。
その結果、私が子供だった頃、母は私に本ばかり買い与えてくれていました。
また、母は短大を出ていますが、どうやらそれは母にとって不満だったようで、私には必ず4年制の大学を出なさい、とずっと幼いころから言っていました。
そんな母なので、「弟は○○なのに、私は…」という叶わなかった望みや我慢を強いられることがいろいろとあったのだろうと思うのです。きっと母親である祖母からの愛情に対しても、「弟は可愛がるのに私は…」という思いが強くあったのではないかと思うのです。
そうなると、母が聞いた祖母からの「あなたはお父さんに似ているから…」という言葉
母の心ではこんな感情が出てくるのかなぁ…と。
「私は大好きなお母さん(祖母)に似たかった。
私だってお母さんに似てるところあるのに、なんでお父さん(祖父)に似てるって言うの!?
弟ばっか可愛がって、私のことは可愛くなかったの?
私はもっとお母さんに愛されたかった、私がお母さんのこと大好きなくらい!
私はお母さんをもっと助けたかった、幸せにしたかった、笑顔にしたかった!お母さんのことが大好きだから!
なのにお母さんったら…私の気持ちも知らないで…!」
そこにある愛
お互い、愛なんだな~、って思うんですよね。
ベースはお互い、相手を思いやる愛。相手を大切に思う愛。大好きだと溢れる愛。
娘の側は、欲しかった時期に欲しかった形の愛がもらえなかったと感じると、傷つくし、大人になる時に近づかれても、今度は今更何よ!って傷の痛みが癇癪に変わってはねつける。そうは言ってもやっぱりあなたが親で私が子供、という思いはずっとそこにあるので、親であるあなたがちゃんとして!と親に依存心が出る。
頭で理解しても、心が自動的に依存心を出してきて、愛してくれなきゃ私さみしいじゃない!困るじゃない!って癇癪を起す。
でもやっぱり、それもこれも、お互い大好きだから起こること、なんですよね。
ただただ、「大好きだよ」って伝えられたらどれほど幸せなんでしょうね。
目の前の問題やイライラ、怒り、嫌な気分、
これって、本来自分の素直な気持ちが封じ込められてしまっている時に感じます。
結局は、自分には嘘がつけないってことですよね。
自分の中にある隠れた気持ち、「ホントは大好き」ってちょっと癪に感じたりするかもしれないけれど、認めちゃった方が自分が一番楽だったりします。
ちなみに私は、祖母が亡くなった時に、祖母のお葬式で誓いました、ちゃんと幸せになるから、見ててね!って。多分それが、一番、祖母が私を心配しなくていい、笑顔でいてくれる方法なのかな?って思ったんですね。
なんて、良い子ちゃんのように言っていますが、当時は前の夫と結婚する前の、手のつけようのない、カウンセリングに救いを求めていた時代でした。せめてもの神頼み、的な、祖母に救いを求める感覚でしたね。最後まで心配をかけていたわけですね。
それでも、おかげで、紆余曲折はありますが、幸せになるっていうことからは逃げられなくなりました。
亡くなってからも、こんな形で私を育ててくれている祖母に感謝です。
おばあちゃん、ありがとう。