カウンセリングサービスの青山リナです。
私たちは誰しもが、「認められたい」と思うものです。
それ自体が悪いことだとは思いませんが、「認められたい」と思っている時は、「認められている」とは思っていない、ということなのですよね。
だから「認められたい」にフォーカスしすぎると、結局「認められていない」ことにばかりフォーカスしてしまうことになるという罠ができてしまいます。
私と母との会話をちょっとご紹介しますね。
私:ちょっと1週間だけ、ダイエットしようと思うんだよね。
母:ダイエットなんて1週間したって続けなきゃ意味ないじゃない。
私:まぁそうなんだけどね、まずは1週間だけやってみようと思うのよ。
母:でも続けなきゃ意味ないじゃない。
私:いいのいいの。まずは1週間よ。
母:そう、まずは1週間なのね。
この会話、どう思います?
以前の私ならね、2行目くらいでキレてたんですよ。
私:もううるさーーーーーい!ほっといてよ!人のこといっつもそうやって否定して!絶対認めようとしないよね!なんなのよ!いつもそうやって人のこと頭ごなしに否定して、それでどれだけ私がやる気を奪われたと思ってるのよ!もういい加減にしてよ!私が上手くいかないのは全部お母さんのせいなんだからね!
と、爆発していました。
自信を持って断言できます!
でも、今はそうじゃない。
私:いいのいいの、私がそう思ったんだから、まずは1週間、やるの。
母:はいはい、そうなのね。
と治まるのですよ。
違いは何か。
母が私を認めているかどうかは知りません。
まだまだね、と思っている部分もたくさんあるんだと思うんです。
でも同時に、あなたはあなたで頑張っているのね、と思っているところもあるんだと思うんですね。
私は、母に認められている、ということにしているんです。
なぜならそれは、私が母を、1人の人間として、1人の女性として、1人の母親として、認めているから。
もちろん、過去の私は小さいことで大爆発を起こしていたので、母のことをそんな認められていたなんて、口が裂けても言えませんが、認めてみようと思いました。
認められない時もあったし、なんで私が認められていないのに、私が認めなきゃいけないのよ、と思った時もありました。
それでも、認めてみようと思ったのです。
そんなアップダウンの繰り返しでした。
それが徐々に、認めることができる、という方向に、自分の状態が変わっていったのですね。
自分が「認められていない」と感じる時、「認めてもらおう」と私たちは頑張ります。
それでも認めてもらえないと、
あなたに認めてもらうためにこんなに頑張ったのに、なんで認めてくれないの?
という怒りに変わってしまいます。
だってその頑張ったことは、自分がしたかったことではなく、「認めてもらう」手段の一つとして頑張ったことだから。
自分が本当に心トキメキ頑張ったことではない、ということ。
それは疲弊しますよね。
「認められる」かどうかはわかりません。
わからないけれど、あなたが「好きなこと」をしている時、あなたは必ず輝いています。
輝いているあなたを認められないのは、認められない人の問題です。
冷たい言い方だと感じられるかもしれません。
冷たいことが言いたいのではないのです。
あなたの人生の、主軸はあなた自身です、ということをお伝えしたいのです。
誰かのため、誰かの評価を得るため、ではなく、
あなた自身がキラキラ輝くため
あなたの人生設計図を書き直してみませんか。
必要な方に届きますように。