カウンセリングサービスの青山リナです。
心理学では、目の前の相手は自分の鏡、という見方をします。
例えば、相手の素敵なところが見えれば、それは自分の中にも同じような良いところがあるから、相手の良さが見える、ということがあります。
職場の○○ちゃん、とっても優しくて気配りの上手な人ね。
そんな風に思ったのなら、その「優しさ」はあなたの中にもあるでしょうし、「気配り上手」や「周りをいつも見ている細やかさ」もあなたの中にあるのです。
逆に
職場の△△さんは、なんだかいつも嫌みっぽくて、ホント、あの人といるとイライラするのよね。なんかすごく嫌な気持ちになる。嫌いなのよね、あの人のこと。
そんな風に思ったとします。
ってことは、私も「嫌みっぽい」ってこと!?
それを聞いただけでも腹が立ちそうですよね。
決して私は読んでくださっている皆さまを怒らせたいわけではないので、ちょっと説明にお付き合いいただけると幸いです。
嫌みを言う人って、どんな人なのでしょう?
もともと生まれつきの性格の悪さ?
それとも、その人自身が嫌みを言われ続けたか、嫌な目にあってきたか、なにかそんな理由で我慢して我慢して過ごしてきた結果、嫌みっぽくなってしまった?
どちらだと考えますか?
私は、後者の可能性が高いんじゃないかな?って思うんですね。
そんな嫌みっぽい職場の△△さんも、小さい頃は可愛らしい子供だったんじゃないかなって。でも、育ってきた環境の中で、我慢して我慢して自分を殺しているうちに、嫌みっぽい言い方しかできなくなっちゃったのかな?って。
嫌みっぽく話すときって、本人は、実は自分を守ろうとしている、ということが意外と多かったりするんですよね。
結果的に敵を作ってしまう時点で、守ろうとしても守れていない、という残念な結果になっていることの方が多いのですが。
では、嫌みっぽくなくなったら、△△さんのこと、好きになる、まではいかなくても、あまり気にならなくなるんじゃないかな?と思うのですよね。
どう感じますか?
もしそうだとしたら、その「嫌みっぽさ」があなたの中にある、というよりも、
こんな嫌みっぽい人にはなりたくない私
というあなたが、あなたの中にいるのではないかと感じるのです。
絶対にこんな風にはなりたくない!
と感じる相手を、心理学ではシャドーと呼びます。
いわば自分の影の部分です。自分の中には表面的には存在していない。
だけれども、自分の影を切り離すって、できないんですよね。
いつも影って一緒にくっついてきますよね。
ということは、なぜかあなたの中にも
絶対こうはなるものか!
と強く思っているあなたがいる、ということなんですね。
その多くの原因は、その△△さん本人とはもしかしたら全然関係ないところで、その△△さんに似たような「嫌みっぽい」人を許せない!と怒ったことがあったのかもしれません。
怒りは感情の蓋です。
怒りを感じた、ということは、本当はその下に別の感情があるはずなのです。
その怒った相手に対して、本当は、怒りではなく、別のことを伝えたかったあなたがいる、ということ。
あなたの本来の愛を思い出させてくれる相手が△△さんなのかもしれませんね。