カウンセリングサービスの青山リナです。
私たちの中には、自分は罰せられるにふさわしい、という罪悪感という感情があります。
これは人間である以上、多かれ少なかれ、誰しもが持っているものです。
ただ、この感情が大き過ぎたり強すぎたりすると、時には自分自身で破壊的な行動をしてしまったり、時には私たちが表面意識では絶対に願わないような出来事が起こってしまったりする、という現象が起こります。
例えば、
夫が浮気した、だとか、
職場を何度代わってもいつも人間関係は最悪、だとか、
朝黒いカラスを見たら通勤途中に転んだ!だとか…
ありとあらゆる、本来頭で考えている状態では願わない問題がやたらと自分に降りかかってくる、というような事態になってしまいます。
そうなると、
浮気した夫が悪い!私は被害者よ!
職場の人たちが悪い!あの人たちは意地悪よ!
カラスが悪い!私に不幸をもたらした!
という、私は被害者、相手が加害者、という構図が成り立ってしまいますね。
何で私ばかりこんな目にあわなきゃいけないのよ!
ごもっともですよね。
ホントに、なんで私ばかりこんな目にあわなきゃいけないんでしょう。
私だけこんな目にあう必要なんてないんですよね。
そう、本当にその通りなんです。
でも、なぜかそんな目にあってしまったのであるならば…
罪悪感
この感情にちょっとフォーカスしてみると、もしかするとそこにヒントが眠っているかもしれません。
罪悪感って、意識として感じられる罪悪感は、明らかに何か悪いことをしてしまった時、ですよね。
例えば、
今朝慌ててたから赤信号だけど走って渡っちゃった。車来てなかったから…でも、交通ルール破った私は悪い人だ。
夫と喧嘩してたから、夫をソファーで寝かせてしまった。ちょっとかわいそうなことしたかな。
なんて、これらの例が実際良いのか悪いのかは置いておいても、自分が悪いことしちゃったな~、と自覚できることに関しては意識として罪悪感って感じられますよね。
ただ、私たちの中にある罪悪感の大半は、やっていない罪悪感だと言われています。
ナニ?その「やっていない罪悪感」って。
愛を止めてしまた罪悪感。
例えば、
夫に浮気をされました。
夫は謝ってきました。
私は許したくなんてありません。
なんで私が許さなきゃいけないんですか。
この時、簡単に許せる気持ちにはなりませんよね。
その気持ちはよくわかります。本当にハラワタ煮えくり返る思いがしますよね。
でももし、彼と夫婦生活を続けようとするならば、どこかの時点で許さない限り、多分夫婦生活を続けるのは難しいと思うのです。
夫婦生活を続けないにしても、ずっと怒り続けることが自分自身にとっても結構苦しかったりするんですよね。
なぜならその状態こそが愛を止めている、という状態になっているからです。
夫を受け入れるつもりはない、と自分の心の扉を自分から閉めた状態です。
許せない気持ちはよくわかります。
許せるか、許せないか、という結果論よりも、
許したいと思えるかどうか、
ここが一番のポイントです。
だって私たち人間は、自分で自分の心の扉を閉めて、愛を止めてしまう、ということが一番心が苦しい状態なのです。
だからそんな苦しいことを、自分自身にしている、これこそが罰そのものになっている、ということなのです。
しかしそんなことを頭では考えませんよね。
え?私そんなこと思ってないんですけど…。
そう、そうなんです、意識していないんですよね、そんなことを。
これらは全部無意識で起こること。
なので、この愛を止めてしまったという罪ゆえに、自分が罰せられなければならない、と無意識で考えているのだとしたら…どうなると思いますか?
無意識はいろいろと引き起こしてくれますよね、自分自身に罰を受けさせる出来事を。
私は罰せられるのにふさわしい、だから私は罰を受けなければ!
そんな想いがあなたの無意識下に大きくあるのだとしたら、
愛の扉とやらを開いてみるってことを試してみられると、
目の前で起こっている現実が大きく変わる可能性は、十分ありえますよね。
あなたは罰せられるにふさわしい人ではなく
愛されるにふさわしい人
そして同時に
あなたの周りにいる人は
あなたから愛されることを望んでいる、ということなのです。