カウンセリングサービスの青山リナです。
みなさま、ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたでしょうか。
私は、宮崎へ行ってまいりました。
美しいところですね。
連休中、天気予報では始めと終わりが雨マークで、少々心配しておりましたが、ちょうど中3日、いいお天気にも恵まれ、宮崎の旅を満喫することができました。
北は高千穂峡から、南は鵜戸神宮まででしたが、神社を巡る旅でした。
高千穂峡は、だいぶ前から行ってみたかったんですよね。実のところ、私はあまり神社や日本の神様の知識がそこまで詳しくあるわけではなく、ただ単に、美しい景色があるそう、という理由だったのですが、不思議と神様旅のようになりました。
(天岩戸神社にある天安河原)
宮崎について早々、神社の境内で、スマホを落としました。
小石がたくさん敷き詰められているところで、角のとがった小石も無数にあったため、ガラスフィルムが表面に張ってあったスマホでしたが、何もカバーされていない1ミリほどの隙間に小石の角が当たったのでしょう、フィルム下の本体に思いっきりヒビが入ってしまいました。
皆さんならどう感じますか?
「最悪~!」or「替え時かな?」
以前の私は確実に「最悪~!」でした。
旅の出だしにして、運が悪すぎる!
あ~なんで落としてしまったんだろう!ちゃんとあの時気を付けていればこんなことにはならなかったのに…!
神社の境内で落としてこのざま…神様の罰が当たったに違いない!もうこんな神社来ない!
な~んて、思っていたと思うのです。
めちゃめちゃ機嫌が悪くなっていたに違いないな、と思います。
でも実は今回、私は一切そのような嫌な感じがしなかったんですね。
落とした瞬間は、「あちゃ!」と感じました。
確かにその瞬間は、しまった!という感じがしたのですが、拾い上げた時にはこう感じたのです。
これは、そろそろスマホを新しくしたらどうですか?という神様のお知らせかしら?(ちなみに私は霊感的なものは一切ありませんので、神様のお知らせかどうかも本当のところはわかりません。)
なぜそんな風に思えたか。
私の「今年叶ったことリスト」に、スマホを変える、というものが入っているのです。実のところ、「今年」と言いましたが、正確には2022年、昨年のリスト内に、です。
1年遅れですね。スマホを変えようと思えばいつでも替えられたのですが、普通に問題なく使えていたスマホだったので、機種そのものを交換するタイミングを考えていたんですよね。
そんなこともあり、私の中ではこれは1つのプロセスだ、と位置付けられました。
実際のところ、プロセスなのかどうなのか、なんて、考え方次第なわけですよね。
どちらが正しいわけでも、どちらが正解なわけでもないんです。
良い出来事にするのも、悪い出来事にするのも、どちらでも自分で決められる、という状態。
自分自身に対して、私には良いことが降りかかってくる、と思うことができれば、良い出来事ととらえやすくなるし、
私には悪いことばかり降りかかってくる、と思うと、ほらやっぱり悪い出来事が起こった、と心が反応してしまいます。
その根本的原因は自分自身の存在価値を、自分自身がどう感じているか、なのですよね。
罪悪感という言葉を心理学ではよく使われますが、基本的に、「悪いことをしてしまった」という罪悪感は、罪の意識を感じやすいので、わかりやすいですよね。
遅刻して迷惑をかけてしまった
モノを壊してしまった
腹が立ったので人に当たり散らしてしまった
など、自覚があることが殆どです。
それ以外の罪悪感って他に何があるの?
それ以外の罪悪感、それは、愛することを止めてしまった、ということ。
例えば…
パートナーに浮気された。相手はやり直したいと謝ってきた。私だって別れたいわけじゃない。だから謝ってきたパートナーを受け入れようと頑張っている。だけど、そうは言ってもまた浮気するんじゃないの?と私は許せない。なんであなたはもう過去のことのように平気で振る舞ってるの?本当に申し訳ないと思ってるのならもっと私のご機嫌取りなさいよ!「そんな態度ならもう別れる?」とか私に言わないでよ!大体あなたが浮気したんじゃない!別れるか別れないかは私に選択権があるんじゃないの?何なのよその態度!なんで私ばっかりこんなに悲しくて、こんなに腹が立って…全部悪いのはあなたじゃない!私がこんなに傷ついてるのはあなたのせいなんだからね!
こんな時って、なんでしょうね、浮気した方が絶対的に悪いはずのに、浮気された方が苦しくて、それでもやり直そうと頑張って、でも全然報われている気がしなくて、なんで私ばっかりこんな辛い想いしなきゃいけないの!?って感じる状態。
この原因も、実は罪悪感なのです。
浮気された方の。
意味わからない…って思いませんか。
私は思いましたよ、意味わからないんですけど!って。
ちなみに、上記のあの怒り狂っているのは過去の私です。
でもね、浮気した方が確かに行動的には絶対的に悪いんですよ。それは間違いない。
だけど、なぜか浮気された方も、「私が悪いんじゃないか」って思っているんですよね。
それは、「私が愛することをどこかで止めてしまったんじゃないか」って罪悪感なんですね。
だって、2人が本当にラブラブで、お互い大好き、愛してる、って時に、「ちょっと浮気してくるね~」とはならないんですよね。
そこで出てくるのが「愛を止めてしまった」という罪悪感。
私が十分愛さなかったから、あなた浮気しちゃったの?
私が何か悪かったから、あなた浮気したのよね?
私のせいで、あなたに浮気させてしまったの?
そんな風に自分を責めてしまいます。
すると、やり直そう、と思った時に、知らず知らずで自分を責めている度合いが強いほど、相手を受け入れる、どころか、相手に対しても責める想いが強くなってしまうのです。
でもそもそも、一旦立ち止まって考えてみていただきたいのです。
そこまでご自身を責める理由はなぜ?
ということに。
そこに出てくるのは「本当は私、もっと愛したかった」という想いなんですよね。
多分それは、過去形なんかではなく、「今でもまだ、できることなら私はもっとあなたを愛したい」という想いなんです。
だから、そんな「愛を止めてしまった」罪悪感を少しでも減らすには、
愛する
これに限ります。
浮気、という例で書きましたが、
親子関係・友人関係・会社の同僚、どんな関係にでも当てはまります。
愛するって、じゃあ何したらいいの?
相手に興味を持ってみる
相手のプラスを探してみる
相手に感謝していることを思い出してみる
相手を理解してみる
罪悪感は、罪の意識。罰せられるほど悪い私、という思い込みです。怒りの感情はいつまで経っても自分自身に対して罪の意識がぬぐいきれません。そんな自分を罰してしまう怒りの感情ではない、あなたの心があたたかくなる想いを相手に持ってみる、ということ。
なぜならそれ自体が、本来あなたがしたかったことだから。
罪悪感を少しでも消す方法、それは、あなたの心をあたたかくすることです。
あなたの存在価値が、いつでもプラスに感じられるよう、一度お試しください。
上手くできないな、と感じられたら、いつでもご連絡くださいね。体感していただければ、いつでもご自身で出来るようになりますよ。