カウンセリングサービスの青山リナです。
先日、母と、従妹と、従妹の息子と私の4人で、登山に行ってきました。
登山と言っても、300メートル級の山。
今話題の織田信長が城主だった岐阜城です。
ここは、頂上にお城が建っていて、ロープウェイで登れるのですが、実は登山道も、初心者用から上級健脚用まで、様々あるのです。
私たちはもちろん初心者用。
そもそものきっかけは、母が登りたい、と言い出したんですね。
お誕生日だったので、どこか好きなところに連れて行ってあげる、といったところ、金華山(岐阜城が建っている山の名前)に行きたい、と。
私としては…いや、ランチに○○とか、下呂温泉だとか、そういうのをイメージしていたのですがね。
とにもかくにも、母ももう70歳を過ぎていますので、登れるのか?という疑いと…
人の心配より自分の心配…私、そもそも登れるのかしら???と、ひやひやしていたのです。なんせコロナ禍になってからテレワークばかりで、ほとんど、歩くということを含め、運動という運動をしていません。数日前に試しに3キロくらい歩いたら足が痛くなりました…。
そんなこんなで、母が私のいとこ(母にとっては姪)も誘ってみようと言い出し…良いけど、あの子行くかしら?と思ったら、なんとまぁ、行くと言うじゃないですか!その息子、新中2男子も一緒に行くと。びっくりです。
教訓1
人のことは勝手に決めつけず、YesかNoかは相手に聞いてみる、ということは大切ですね。
私たちは近しい相手ほど、「どうせ○○でしょう。」「きっと○○に決まってる。」と、勝手に決めつけて考えてしまうことがあります。
言ってもどうせやってくれないに決まってる、だったら言うだけ無駄じゃない!
と勝手に決めつけて、勝手に怒って、勝手に機嫌が悪くなる、ということをします。
もしかすると、次に聞いたときには違う答えが返ってくるかもしれませんし、聞き方を変えると違う答えが返ってくるかもしれません。
いつもなら、勝手に決めつけてしまう側も、ちょっと考えやアプローチを変えてみると、ぜんぜん違う結果を手にする可能性は大です。
さすが、新中2男子は健脚で体力も有り余っています。最初こそ、一緒にペースを合わせて登ってくれていましたが、迷子になるような山道でもなく、春休みに入っていたこともあり、登山客もたくさんいましたから、道のある、人のいる方向に進めばお城に着くよ、と伝え、途中からはひょいひょいと軽々飛び跳ねて登っていきました。
私と従妹は、石の階段に息を切らしながら、もうすぐかな?もうすぐのはず…なんてヒーヒー言いながら登り、母は若かりし頃登山部だったこともあり、ゆっくりですが着々と自分のペースで登っていました。
山頂に到着した時は久々に山登りをした爽快感がありました。
写真を撮ったり、みたらし団子を頬張ったりと、岐阜城の景色とエネルギー補給を満喫し、下山はチートでロープウェイを使用。
なかなか楽しいミニ登山でした。
お昼過ぎ頃下山したので、お腹ペコペコです。
帰り道、ランチにステーキハウスに立ち寄りました。
母の誕生日ツアーだったはずなのに、なぜかそのステーキハウスでの支払いは母。
間違ってるな…と思いつつ、いや待てよ、多分母は、支払えることが嬉しいんだな、と、みんなで母にご馳走になることにしました。
教訓2
人は、誰かの役に立つ、ということに喜びを感じる生き物なのです。
愛されることは確かに嬉しいでしょう。
がしかし、私たちの本当の喜びは、愛することにあったりするんですね。
この日、母は、自分の行きたかった金華山に行くことができ、自力で山を登ることができ、70歳を過ぎているけれど、確かに昔に比べるとだいぶ衰えていると自分でも感じているんでしょうけれど、「わたしもまだまだイケるな!」と感じたのだと思うのです。
しかも、私のいとこ、母からしたら姪も、その息子の新中2男子も一緒に来てくれた。多分そのことがとても嬉しかったのだと思うのですね。
一緒に時間を過ごしてくれて、一緒に山登りを楽しんでくれたことが、母にとっては最高のバースデープレゼントだったのでしょう。
そんな姪とその息子の新中2男子に、美味しいものをお腹いっぱい食べさせてあげたいと思ったのでしょう。もちろん娘の私にも。さすがにお腹いっぱいになり過ぎて、デザートを誰も頼まなかったのが少し残念そうでした。
そのくらい、母にとっては、誰かに愛を与え(今回はランチですが)、それを喜んでもらえる、ということが、至福だったのでしょう。
与えることと受け取ることは同時に発生するのです。
母はランチをご馳走することで与え、自分が役に立ち、人に喜んでもらえる、という嬉しさを受け取りました。
私たちは、ランチをご馳走してもらうことで母の愛を受け取り、「ありがとう」と美味しくいただくことで、母に喜びを与えている、ということなのですね。
愛の循環って実はこんなに簡単に回るんです。
改めて、そんな愛に満ちた1日を過ごすことができ、とても心温かく幸せな時間を過ごしました。
あなたが上手に受け取ることで、循環する愛、あなたの存在が喜びだという証拠ですね。