カウンセリングサービスの青山リナです。
女性と男性では、考え方や行動が違うってこと、よくあります。
私たちは誰しもが、自分を基準に物事を考えるので、男女でお互い理解し合うことが難しい、といったことがあっても全く不思議ではないですよね。
例えば男女の違いとして、2人で喧嘩したら
女性が怒って「もういい!出てく!」なんて叫んで家を飛び出した場合、後ろから彼が追いかけてくれることを期待するって、実はよくあるんですよね。
本当に私のことを愛しているのなら追いかけてくるはずよ!と期待する。しかし待てど暮らせど彼が追いかけてくる気配がない。すると女性は思いますよね、所詮私って、そんなレベルなのね。愛されているなんて思った私が悪いのね。なんて。
男性の場合はどうなのでしょう。男性が怒って「ちょっと外に出てくる!」と外に出ると、後ろから女性が追いかけてくる。なんで来るんだよ…俺をひとりにしてくれよ…!とひとりになりたがる。
ここに男女のパターンが集約されています。
どちらが良くてどちらが悪いわけではなく、思考回路の違いなのです。
女性は自分を追いかけてきて欲しい、それが愛の表現だと思っている。だから男性に出て行かれた時には自分が彼を追いかける。
男性はひとりになって頭を冷やしたい。感情的になったまま一緒にいることで大切な彼女を傷つけてしまうかもしれないし、自分自身も自己嫌悪に陥ったり罪悪感を感じたりして気分が悪い。だから女性が出て行っても追いかけない、なぜなら自分が出て行った時には追いかけて欲しいと思っていないので、まさか女性が追いかけてきて欲しいなんて思っているとは夢にも思わない。
コミュニケーションとしては、すれ違い、なんですよね。
でも本質は、どちらも愛。
だとしたら、自分のことを知って欲しいと思う気持ちはもちろんあって、大切な想いだけれど、愛のコミュニケーション、というところに目を向けるならば、自分のやり方ではなく、相手が見ている世界、相手の目線では何を感じ、何が見えているのか、そこに興味を持ってみよう、と思うと、お互い想いは通じやすくなるのかもしれません。
もちろん、これは一般論としての例なので、個人でまた違うのかもしれません。
女性と男性では同じ見方、同じ思考回路、同じ感覚ではないとしたら、私の言動にも意味があるように、相手の些細な言動にも意味があるのかもしれない、と見てみると、見えてくるものや、関わり方って変わってきたりします。
男性は罪悪感が強く出る傾向にあります。
それは、自分は毒である、自分はバツを受けるべき存在である、という想い。
自分が関わることで、大切な人を汚したくない、だから距離を取る、というやり方をすることが、意外と多くあったりします。
逆に女性は、無価値感を強く感じる傾向にあります。
自分には価値がない、と誤解してしまう想いです。
だから、彼が罪悪感を発動し、距離をとる行動をすると、やっぱり私だからダメだったの、なんて誤解をし、無価値感を感じやすくなります。
お互い、愛があるのだけれど、愛ではなく、自分の痛みや葛藤に目を向けてしまうと、悪循環を引き起こしてしまうんですね。
「私は愛される価値がある。」