カウンセリングサービスの青山リナです。
本当は人ともっと仲良くしたい、なんでも話せる仲になりたい、なんて思う気持ち、あったりしませんか?特にパートナーとは、心と心で繋がっていられるような感覚でいられるのは理想と感じる方は多いのではないでしょうか?
かく言う私も、どちらかというと、昔から人と関わっているのが本質的には好きだったのだと思います。
でも、人には触れられたくないこと、たくさんありました。
例えば父のこと。
両親が私の幼いころに離婚していたので、私は父親という存在をずっと知らずに育ってきました。今思うと、そんなに大したことではない、って思えるのですが、昔は私にとって、父親の話題になる時は一大事でした。父の日とか、父兄参観日とか、気まずいし、なんだか辱められているような、とても嫌な気分でした。「お父さん」という言葉を発する事すら、何かまるで私にはその言葉を発する資格が無いような、誰かから咎められるような、そんな嫌な感覚を身体で感じていました。
こんな状態だったので、家族の話とか、両親の話とか、そんな話題になることがとてもイヤだったんですね。
子供の頃、おままごとみたいなことが大好きでした。そんなおままごとですら、「お父さん」役が登場すると私としては困るわけですよね。
そんな状態で、なぜか私は別に悪いことをしているわけではないのに、何か悪いことをしているような、居心地の悪い変な緊張感を抱えていた子供だったのです。
今、父のことだったり「お父さん」という言葉を発することに対して、何の抵抗もありません。なぜなら、父という存在が、私の中で隠し事ではなくなったから。
人は、隠しておかなきゃいけない、と思うことを抱えている時、人と近づくことに大きな抵抗を感じます。その隠しておかなきゃいけない、と感じていることがたとえどんな悪いことじゃなかったとしても、です。
隠しておかなきゃいけない、と思っていることが既に、自分の中で何か悪いこと、と自分が判断しているのですね。だから、人に知られたら人からも批判されるに違いない、と感じます。誰だって、批判なんてされたくないし、批判されて傷ついたり心にダメージを追いたくないですからね。
反対側から見てみると、それは人が批判しているのではなく、自分が自分を批判している、ということなのですね。もっと言えば、自分が何か悪いことをしているわけではないけれど、それが自分に与えられた罰のようにすら感じている、ということ。
ということは、そんな酷い罰を与えられている自分はどんなに悪い存在だと感じているのでしょう。自分が悪い存在だとするならば、人に近づくと相手を汚染してしまう、というように思うのですよね。
これは、ほとんど意識はしていない、無意識下で動いている感情です。
でもね、原点に戻って見てみると、何も悪でもなければ罰でもない、ただ単に、起こった出来事なだけなのですよ。私の場合だと、ただ単に、両親が結婚生活を続けられず離婚しただけ。私の問題ではなく、父と母の問題なのです。
あなたの中には、ありませんか?ずっと隠していなきゃいけないような気がしていること。コンプレックスになっていること。触れたくないと感じていること。
寂しさを選ぶのもそろそろ止めにしたい、そんな風に思っていらっしゃるなら、一度お話ししてみませんか。あなたのペースでかまいません。一歩ずつ、一緒に進んでみませんか。
お待ちしています。