カウンセリングサービスの青山リナです。
私たちは、迷った時、正しいかどうかで判断しようとします。
なぜならそれは、間違ってしまったら、罰せられる、と自動的に思ってしまうから。
失敗したくない。
罰せられたくない。
正しい答えはどっち?
そう考えれば考えるほど、答えを出しづらくなることがあります。
そこで出した答えが正解であればホッとするし、不正解であれば落ち込んだり嫌な気分になったり、どうして間違ってしまったんだろう、と自分を責めたりする結果になることが多いです。
でも、もう1つ、別の選び方があるのです。
心がときめくかどうか。
心がワクワクするかどうか。
心が躍るかどうか。
心がときめいたり、ドキドキしたり、踊ったり、それを基準に物事を選ぶことができる時、そこに失敗って無いんです。
そして、それを基準に選ぶには、自分が何を好きで、どんな時に心が動くのか、ということを知る必要があります。
自分の心の動きを知る。
人の常識とか社会の常識とか、そういったものは、実はあなたの心の動きを止めてしまったりします。
私はこれが好きで良いんだろうか?
私はこれを選んで良いんだろうか?
と、自分に自信を持てなくなってしまのです。
特に日本という国は、出る杭は打たれる、なんていう言葉があるくらい、人からはみ出ることに対して批判されやすいんですよね。
だから、みんながやっているから私もやらなきゃ、と思うし、
みんなが我慢しているから私も我慢しなきゃ、とも思う。
自分の意見、意思よりも、周りの意見、意思を優先しやすいのですね。
そんな状況の時は、自分がどこか犠牲的になっている状態ですよね。
そしてだんだんそれが積もりに積もると、自分の限界を迎えてしまったりします。もうムリ…って。
なぜそこまで自分を犠牲にして周りに合わせようとするのか。
それは、自分に対して疑いの気持ちがある、ということが実はベースにあるのです。
どんな疑いかというと、
自分は良い存在ではない
ということ。
自分自身が良い存在ではない、と思うと、そんな自分を隠さなきゃいけないと思うんですね。
一本の木を隠すならば、森に植えるのが一番見つかりづらいですよね。
だから、みんなと同じように、みんなと合わせる。これが一番自分自身を目立たせずに済む方法なのですね。
良い存在ではない自分を紛れ込ませるには人に合わせるのが一番良い方法に思えるのです。
でもそもそも、自分は良い存在ではない、というこの考え自体が間違っている、ということに、不思議と私たちは、自分に対して気づかないんですね。
しかし人のことを見ていると、自分が良い存在ではない、という自己概念が間違っている、ということが、とても分かりやすいと思うのです。
私はカウンセラー業の他に、英語教室もやっているのですが、その教室の生徒のお話をご紹介します。
とってもお友達思いで、とっても優しく、勉強も運動も頑張っている男の子がいます。でも何故か、その子は自分がモテない、って思っています。一生僕のことを好きになってくれる女の子なんていない、って思っているのです。
彼はそのうち、とっても心優しい女性と出逢って、案外早い年齢で結婚するんじゃないかな~、なんて私は勝手に想像しているんですけどね。
だって本当に心の優しい子で、その優しさを発揮できるだけの強さもちゃんと持ち合わせているんです。そんな子に心ときめく女の子がいないわけがないんですよ。
でも本人はそんなこと考えもしません。僕はモテないんだ、って、今の彼は信じています。
もし、自分を、もしかしてそんなに悪い存在じゃないのかも、って少しでも思えたなら、自分の素晴らしさを少しずつ受け入れやすくなっていくのではないでしょうか。
自分で気づかないことは、人に聞いてみると良いと思うのです。
自分を取り囲んでいる人が向けてくれている、優しい眼差しや、応援の声、それがあなたの存在価値なのですよ。
それって、本当は、たくさんたくさんあるんですよね。
でも、あなたがそれを受け入れようと思わない限り、見えなかったり聞こえなかったりするのです。
不思議ですよね。私たちは、見たいものを見、聞きたいことを聞く、そんな生き物ですから。
自分を取り囲んでいる人が向けてくれている、優しい眼差しや、応援の声に気づく。
それは、愛を受け取る、ということかもしれません。
愛を受け取ることで、あなたは自信を手に入れるのだとしたら。
あなたの心を動かすカギは、あなたが受け取った愛の中にあるのです。