寂しい気持ち 幼少期編

いつもありがとうございます。
カウンセリングサービスの青山リナです。

リナの軌跡

と題して、青山リナという人物がどんな人なのか、知っていただくシリーズを作ってみようと考えました。
過去の失態や、恥ずかしい話、この人大丈夫?なんて思われそうな内容もあるかもしれませんが、何か読んでいただいている方のヒントや笑顔、元気や安心感などに繋がればいいかな、と思い、綴ってみます。
あたたかい気持ちで読んでいただけると嬉しいです。

よろしければ、お付き合いくださいませ。

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私が、初めてカウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスに足を踏み入れた時、「さみしい」という言葉が言えませんでした。
「さみしい」って言える人は、たいして寂しくないんだよ。
と思っていました。

目次

母と私の暮らし 私の視点

私の幼少期は、両親が離婚していたので、母と暮らしていました。
母は、昼間は仕事に出かけていたので、私は近くに住んでいた祖父母の元へ預けられ、夜、母が仕事を終えて迎えに来るまでは祖父母と1日を過ごしていました。

祖父母はとてもよく面倒をみてくれましたが、農業を営んでいたので、祖父母もまた、私の相手ばかりしていることはできず、私は祖父母の元でひとり遊びをしていることが多かったように思います。

祖父母の家には、母の弟夫婦が住んでいて、私の3つ下と6つ下にいとこがいました。叔母は私と血がつながっていませんでしたが、叔母もとてもよく私の面倒をみてくれました。

私の育った環境は、決して悪い環境ではなく、周りの大人はみな私に親切で優しかったのです。

しかし、どんなに周りの大人が私に親切で優しくいてくれても、私はどこか、苦しいような悲しいような、周りとの距離を感じていました。
今思うと、あれが分離感で寂しさだったのだと思います。

夜、早ければ6時半ごろ、母は私の待つ祖父母の家に迎えに来ました。まだ保育園児の頃までは、車から降りて、玄関まで迎えに来てくれていましたが、小学生になり、そのうち車の中でクラクションを「プッ」と鳴らすようになりました。私はその音で、自分のランドセルや他の荷物を持って駆け足で外に出て行きます。

玄関から10メートル前後離れているのですが、クラクションが鳴る前に、車の音が私には聞こえるのです。他人の車の音とも聞き分けられるほどでした。当時の私は小さいながらにずっと母の帰りを待っていて、母が帰ってきた嬉しさと、車の中で待っている母を待たせてはいけない、という思いで、早くしなきゃ!と大慌てで荷物をまとめて車に駆け寄っていたのです。

車の中の母は、いつも疲れたような、厳しい顔をしていました。
だから結局、車の中で母と話すことは殆どありませんでした。家に帰っても、母がご飯を作ってくれますが、楽しくおしゃべりしながら食事をしていた、という記憶があまりありません。
母はせかせかと食事の支度をし、その間、ラジオがかかっていた記憶があります。食事中も、ラジオが話していました。

幼かった私としては、疲れている母に少しでも迷惑をかけないように、という想いが強かったような気がします。でもその反面、とてもつまらなかったような記憶も片隅にあります。でも私は何を話していいのかわからなかったのです。何を話しても、母はあまり楽しそうにはしていなかったし、下手なことを言えば叱られる、という防御も子どもながらに働いていました。

母の現実と葛藤

母も母で、当時は心身共にあまり余裕が無かったのだと思うのです。そりゃそうですよね、毎日朝から晩までフルタイムで働いて、帰ってきたら小さい子供の世話をして、ある程度の家事をして。余裕なんてあるはずもありません。

母の立場であの頃の生活を見てみるのなら…

自分が仕事をしなければ、自分の生活も、娘(私)の生活もままならない。だから仕事をしないわけにはいかない。だからと言って、娘をほったらかしにして可哀そうなことをしているとも思う。がしかし、仕事だって楽なわけではない。会社で嫌なことだってあるし、人間関係上手くいかないこともある。決して子供が可愛くないわけではないけれど、ひとりだったら家に帰って寝てしまったっていいけれど、娘がいるからご飯も食べさせて、お風呂にも入れて…シンドイ…娘がもっとちゃんと自分で自分のことできればいいのに、いつまでたっても手がかかる、わがままも言う。まだ子供だから仕方ないのはわかるんだけど…私にも余裕なんてない…あぁ、そんなことを思ってしまう私はなんてひどい母親なんだろう、あの子は私なんかが母親じゃなかったらもっと幸せな生活を送れていたのかもしれないのに。最低な母親だ…

そんな風に思っていたのかもしれません。

「おじいちゃんおばあちゃん、それから、おばさんに迷惑かけちゃいけないよ」
母は私にしょっちゅうそんなことを言っていました。
母は母で祖父母に対して、母が離婚したことにより、迷惑をかけている、申し訳ない、という思い。また、祖父母に肩身の狭い思いをさせている、というような思いがあったのかもしれません。その上、娘である私の面倒をみてもらわなければならない、という負い目があったと思うのです。祖父母だけならまだしも、母の弟の嫁である叔母にも迷惑をかけてしまう、という申し訳なさ。

遠慮と気遣いが生み出す「迷惑」という思い込み

祖母は祖母で、母を不憫に思ったのか、「お母さんに迷惑かけちゃいけないよ」と私にいつも言っていました。
祖母は、叔母に迷惑をかけるな、と言葉では私に言わなかったのですが、祖母の態度がいつも叔母に対して遠慮していたり、顔色を伺ったりするような態度だったので、やはりここでも「迷惑かけちゃいけないんだ」と私は子供ながらに精一杯読み取ったのだと思います。

とにかく私は「迷惑をかけちゃいけない」状態だったのです。
実際には「迷惑をかけちゃいけない」と、私がそう読み取り、そう解釈し、そう信じていたのです。

我慢から作り出される癇癪爆弾 怒りは感情の蓋

そして、家の中でこれだけ遠慮して生きていると、必ずどこかに歪がきますよね。定期的に感情の大爆発を起こしていたのをよく覚えています。
感情の大爆発を起こすときは、怒りとなっていますので、周りは大迷惑を被るわけですね。結果、迷惑かけちゃいけないはずなのに、迷惑極まりない状態に陥ります。

例えば、癇癪を起して、力任せにドアや障子を閉めて壊してしまったり、母と大喧嘩して家の外に出され、またその腹いせに私が家の外で大声で泣き叫び、母は近所の人に警察を呼ばれる前に結局家の中へと連れ戻さなくてはいけない、などと、とんでもない癇癪爆弾にたびたびなっていました。

感情が大爆発している私自身も、スッキリするかと言えば、残念ながらスッキリなどせず、嫌な気持ちを引きずるわけです。結局何も現状は変わりませんしね。

怒りは感情の蓋、だと心理学では言われます。
ではその怒りの感情の下にあるものは何か。

それは、愛して欲しい、わかって欲しい、助けて欲しい。

寂しいから私を愛して欲しい
寂しい私の気持ちをわかって欲しい

寂しいのが苦しいからどうか私を助けて欲しい

当時の私が感じていた思いです。

我慢して、遠慮して、気を使って、空気を読んで…
単純に、かまってもらえない、という物理的な寂しさと、相手と心の距離をとって迷惑をかけないように、と幼いながらに頑張っていた心理的な寂しさと、両方あったのだと思います。
でも、当時の私にはそんなことはわからなかったので、「さみしい」とすらも理解していなかったと思います。感じないように封じ込めていたのです。

そんな子供が大人になるとどうなるのか…
次回に続きます。

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